紙の本は電子書籍によって虚構の「上質」を打ち崩される 〜「トレード・オフ」を読んで〜

ちょっと今更ではあるのですが、7月に発売されたビジネス書「トレードオフ―上質をとるか、手軽をとるか」を読了しました。
この本、掻い摘んでいえば「上質なもの、手軽なもの、どちらかに特化しないと生き残れませんよ」というもので、そりゃ当たり前だよね、という内容です。
最後に書かれた訳者解説では「視点としては面白いが実戦で役に立つレベルにまで洗練された概念ではない」とまで言ってしまっているほど、その論理は穴だらけでした。
しかし面白いのは過去の事例の紹介。
「3D映画」「ブルーレイ」「コダックとデジカメ」「ルンバ」などデジモノ好きには大好物の内容がズラリ。
個人的にはNewtonとPalmPDA対比がかなりニヤリとさせられました。
そんな中、一番気になったのが「kindle」についての記述。
今では189ドルで売られているkindleが、これが書かれた時点では300ドル程度していたのですが、筆者は「kindleが価格を抑えられたとき、不毛地帯から脱出するかもしれない」と予言しています。
そしてその予言は報道のとおり真実となりつつあるのです。
自分は本を分解、スキャンしiPadで読んでいる一方、紙の本も大好きな人間です。
しかしこの本を読んで、自分は紙の本が持つ極めて危険な状態を再確認しました。

電子辞書の普及と紙の辞書の消滅

「そうは言っても紙の本が無くなるはずなんてない」という人がいまだに多くいます。
しかしそれは「フィルムが無くなるはずない」「CDが無くなるはずない」と言うのと同じで、市場的に見ればあまり現実的な予想ではありません。
紙の本の未来を暗示する端的な例としてここでは電子辞書をあげてみましょう。
私の父は根っからの活字人間で、なおかつ電気製品を大の苦手としていました。
しかし、数年前、父は母にすすめられ電子辞書を購入、以降肌身離さず持ち歩いているようです。
これは自分にもにわかに信じがたい出来事でした。
ビデオの録画予約もままならなかった父が、紙の辞書を捨て電子辞書を使いこなしているのですから。
そしてお察しのとおり電子辞書の市場は完全な右肩上がりです。

  • 2003年 - 204万台 / 264億円
  • 2004年 - 238万台 / 334億円
  • 2005年 - 238万台 / 342億円
  • 2006年 - 251万台 / 374億円
  • 2007年 - 280万台 / 463億円

一方で紙の辞書は「10年前におよそ1,200万部だったものが、今は650万部程度に減」ってしまいました(参考)。
電子辞書300万台VS紙の辞書650万部、となれば一見「紙の方が優勢じゃないか」と思うかもしれませんが、電子辞書には「国語」「英和」「和英」「漢和」など10冊以上の辞書が内蔵されている場合がほとんどです。
紙の辞書が凋落に向かっているのは火を見るより明らかな状況なのです。
さらに言えば数字として明確ではありませんが「goo辞書」などの無料ネット辞書、Wikipediaスマートフォン向け辞書アプリなどが次々と紙の辞書をニッチへと追いやっています。
そして更に興味深いデータがあります。
サンプル数はあまり多く無いのですが、電子辞書に関するアンケートで電子辞書を紙の辞書より「イメージがいい」と感じる人が世代問わず6割前後いたというのです(参考-PDF注意)。
紙の辞書をめくり言葉を探す「経験」よりも、電子辞書でパッと言葉を見つける「経験」の方が利用者に「上質」な体験を与えていたということでしょう。
また電子辞書のコストダウンにより、価格面でも紙の辞書の優位性は薄れていきました。
この状況は「トレード・オフ」の言葉を借りるならば、紙の辞書は「上質」でも「手軽」でもない不毛地帯へ転落した、といえます。
今後、紙の辞書は「広辞苑」など一部のオーラをまとった商品と、安価なポケット辞典、そしてニッチな語学や専門知識の辞書だけが細々と生き残っていくことになるでしょう。

「上質」から脱落しつつある紙の本

辞書の世界におけるデジタル革命は「紙」という媒体が持つ「上質」さがいかに脆いものかを我々に気づかせてくれました。
では紙の本は今後どうなっていくのでしょう。
「トレード・オフ」における紙の本に関しての分析は私もかなり共感するところだったので、ここに引用させてもらいます。

キンドルの開発チームは、紙の本を詳しく分析する過程で上質さに着目した。「上質」という言葉こそ用いなかったが、本を読むという経験がなぜおおぜいの人々に大きな満足感をもたらすのか、解き明かそうとしたのだ。「本の匂いまで探ろうとしたものです」とベゾスは言った。「調べたところ、たいていは膠(にかわ)の匂いがするとわかりました。それと白カビですかね。半分は冗談ですが、キンドルにも同じ香りをつけるべきではないか、と話し合ったものです。なぜ膠や白カビの匂いが好まれるかというと、書き手の世界に入り込んだような気分になれるからでしょう」。あれこれ試した末、紙の本より優れたものをつくろうとするのは「あまりに向こう見ずな挑戦だ」とわかったという。

これは「トレード・オフ」の中で再三言われる「上質」の条件の中で「経験(見たり触ったり感じ取ったりできるもの)」あるいは「オーラ(目に見えない価値、場合によっては実体がない上質感)」と呼ばれるものに該当します。
多くの人がそうであるように、自分も好きな本が書棚に置いてあることや、パラパラめくる感じ、香りなどが持つ、もはや理屈ではない「上質感」を感じています。
こればっかりはiPadkindleがいくら進化しようとも手に入れられるものではありません。
しかし、前述したように「辞書」の世界では紙の持っていた「紙をめくって言葉を探す」という上質で「オーラ」を伴っていたはずの「経験」は、電子辞書が持つ「一瞬で言葉が見つかる」という新しい上質な「経験」の前に敗北したのです。
自分は現在、iPadやiPhoneで読書を楽しんでいますが、そこには例えば以下のような新しい「上質」な「経験」があります。

  • 寝っ転がりながらなど明かりが届きにくいシチュエーションでも読みやすい
  • 何冊でも機械に入れ、好きなときに読める
  • 本棚を探さずとも好きな本がすぐに見つかる(2000冊を超える蔵書から探し出すのは至難の業でした!)
  • 「本棚がいっぱいだから」という理由で新しい本との出会いを諦めることがない
  • タッチするだけで一瞬でめくれる
  • あらゆる本に栞を挟める
  • 簡単に拡大縮小ができる
  • 字も大きくできるので老眼でも苦にならない

特に本棚を圧迫しない、そして好きなときに簡単に見つけられるという部分は本好きの人間にとってこの上ない利点ですし、どんな本でもすぐに拡大できるのは高齢者にとっての福音となるはずです。
これらの利点を前に、紙をめくる「経験」がレコードに針を落とす「経験」、フィルムをカメラにセットする「経験」などと同様、ごく一部のマニアのものになることは既に自明と思われます。
しかし「トレード・オフ」の中ではもう一つ紙の本について分析している箇所があります。

本は読む人の個性を映し出す。あなたが機内や病院の待合室で手にしている本は、周囲の人々に一定の印象を与える。人柄や趣味のよさをそれとなく伝える本を持っていれば、望ましい印象を生むことができる。オフィスや自宅のリビングの書棚に並ぶ本も、あなたの人物像をつむぎ出すうえで重要な役割を果たす。どういった本をひもとき、購入し、書棚に飾るか。これらもまた、全体としてあなたの個性をまわりに伝える役割を果たす。このため、想定や判型などの外観は本の上質感を大きく左右する。

これを「トレード・オフ」では「個性(自分ならではの個性や持ち味を人々に伝えてくれる)」と呼んでいます。
iPhoneを使い青空文庫太宰治を読破した」という人と「太宰全集が出版社別に全部本棚につまっている」という人、後者の方がより太宰を愛しているように見えるということが端的な例でしょう(実際に後者の人が太宰をどこまで読んでいるかはわからないのに!)。
この「個性」は本を読んで楽しむこととはもはや関係のない要素なのですが、意外とこれについては電子書籍が分が悪いかもしれません。
通勤中に紙の本を読んでいる人と、iPhoneで本を読んでいる人。
例え前者が読んでいるのがフランス書院で後者が読んでいるのがドストエフスキーだったとしても、傍目からは前者がなにやら高尚に見えてしまうのですから。
しかし、この「個性」という「上質」の要素において、電子書籍は紙の質感や装丁といった部分とは全く別の切り口で戦うことができそうです。
一番お手軽な解決方法は、mixitwitterfacebook、などのソーシャルグラフ上で「この本を買ったor読んでいる」というフィードを飛ばすこと。
Appストアやkindleストアで買うとき、あるいはその本を読んでいるときにソーシャルグラフ上でそのことが共有される、これもまた「個性」の発露です。
もっともこれはAKB48のCDを持たず、着メロでしか聞いていないのに「大ファンです!」とはいいづらいのと同様、実際に紙の本を持っていることに比べればまたまだ貧弱かもしれません。
ただ、デジタルの世界においては本棚に置いたり、人前で読んだりすることとは異なった「個性」を発露する方法がいくらでもあるだろう、ということです。
最近ではkindleが「人に本を貸す」機能を搭載し話題になりました(参考)。
電子書籍における「個性」の開拓はこれからも続いていくでしょう。
意外とここに電子書籍プラットフォーム戦争で勝利する鍵があるかもしれませんね。

「入手性」という紙の本、最後の「上質」さが崩れる時

さて、紙の本がもたらす「上質」が電子書籍の魅力に比べればいかに儚いものかをこれまで書いてきたわけですが、国内で今すぐに電子書籍が紙の本を飲み込むことはまずありえません。
携帯電話やスマートフォンiPad電子書籍を買おうとした人ならばその理由に思い当たるでしょう。
最大の理由は「入手性が悪い」ということ。

  • とにかく種類が少ない。マイナーな本はもちろん、新刊もほとんどない。
  • 検索性が悪い(単体アプリ、書店アプリ、PDFなどなど乱立するプラットフォーム)
  • 割高感がある(紙の本よりちょっと安い程度)

「トレード・オフ」ではこのような状態を「手軽」でも「上質」でもない不毛地帯と位置づけています。
大型書店で本をゆっくり選ぶ上質な経験、あるいはコンビニで雑誌を買うような手軽さとは雲泥の差です。
なぜこのような状況に陥っているかは、色々なニュースサイトやブログで言及されているのでここでは詳述を避けます。
しかし、例えばAmazonAppleに支払う手数料率30%が出版社にとって高すぎるのが障害だとしても、それは技術の進歩でコストダウンが進むでしょう。
また電子書籍市場がまだ小さく、プラットフォームが乱立していて参入しにくいという現状についても、プラットフォームの拡大と統合は時間の問題と思われます。
利益が生み出せる構造が整えば、もう既存の流通に気を使うことはなくなりそれぞれの出版社はいっせいに電子書籍へなだれ込むことになります。
その時、大型書店で本を買うことは「店に行き本を探さなくてはならない手間のかかる買い物」となり、コンビニで新聞や雑誌を買うことは「かさばる荷物を持たされるのが苦痛」などと思われてしまうかもしれません。
CD市場がわずか10年でファン向けのニッチ商品へと移り変わったのと同様、10年、もしくはそれよりも早いタイミングで紙の本は「コレクション用」という「個性」をアピールするぐらいの役目しかもたないニッチ商品になるのは間違いありません。
「トレード・オフ」において筆者は最後にこう語っています。

ほかの人々にはない自分ならではの持ち味や強みをはっきり自覚したなら、静かな絶望は消えていくはずだ。

本好きの端くれとして紙の本が生き残るために、その持ち味を生かせるマーケティングが行われることを切に望みます。



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